東京地方裁判所 昭和53年(ワ)11238号 判決 1984年5月30日
原告
栗山美和子
右訴訟代理人弁護士
千葉憲雄
同
石川憲彦
同
山本政明
同
色川雅子
同
塚原英治
同
小池振一郎
同
井上幸夫
同
岡村親宜
同
小林良明
同
原田敬三
同
宮川泰彦
同
川上耕
同
大川隆司
同
亀井時子
同
馬上融
同
鳴尾節夫
被告
スイス、エア、トランスポート、カンパニー、リミッテッド
右代表者代表取締役
アーネスト、シュミット、ハイニイ
日本における代表者
ピーター・ルティ
右訴訟代理人弁護士
成富安信
同
青木俊文
同
高橋英一
同
中山慈夫
同
中町誠
主文
一 原告が被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告は原告に対し金三〇万七二〇〇円およびこれに対する昭和五二年七月二六日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
四 この判決は第二項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の申立
一 原告
主文第一ないし第三項と同旨の判決ならびに第二項につき仮執行の宣言。
二 被告
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求の原因
(地位確認請求について)
1 原告は、昭和四六年九月二七日、航空旅客運送を業とする被告会社に雇用され、その直後から同社の経理業務に従事していたものである。
2 被告会社は、昭和五二年六月二八日付書留郵便で同年七月三一日をもって原告を解雇したとして、以後原告を従業員として取り扱わない。
(金員請求について)
3 被告会社の就業規則一二条三項によれば、従業員の業務上疾病による休職の場合、被告会社は、休職後一年間は賃金の一〇〇パーセントを従業員に支払うことになっている。
4 原告は、昭和五一年八月以降、業務上疾病(両手腱鞘炎、過労性頸肩腕障害)により休職している。ところで、被告会社は、右疾病は私傷病であるとして、就業規則一二条三項を適用し、昭和五一年八月から同五二年一月までは賃金の一〇〇パーセント(基本給の一〇〇パーセントに交通費金一万二〇〇〇円を加算)を支払ったが、同年二月から同年四月までは賃金の七五パーセント(基本給の七五パーセントに交通費金一万二〇〇〇円を加算)、同年五月から同年七月までは賃金の六〇パーセント(基本給の六〇パーセントに交通費金一万二〇〇〇円を加算)を支払ったにすぎない。したがって、昭和五二年二月から同年七月までの賃金(一時金を含む)の一部が未払であり、その詳細は別紙(一)記載のとおりであり、その合計額は金六四万三二〇〇円である。
なお、被告会社における賃金の支払は、毎月一日から末日までの賃金を同月二五日に支払うこととなっている。
(まとめ)
5 よって、被告に対し、雇用契約上の権利を有する地位の確認と未払賃金残金三〇万七二〇〇円およびこれに対する最終履行日の翌日である昭和五二年七月二六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する答弁
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4のうち、原告が業務上疾病により休職していることおよび賃金六四万三二〇〇円が未払となっていることは否認するが、その余の事実は認める。
三 抗弁(地位確認請求について)
(解雇)
被告会社は、原告に対し、昭和五二年六月二八日付書留郵便により、同年七月三一日をもって原告を解雇する旨の意思表示をなした(以下「本件解雇」という。)が、被告会社の就業規則四条四項によれば、解雇予告期間は二か月となっているので、右解雇の効力が生じたのは同年八月末日である。
四 抗弁に対する認否
被告主張の解雇の意思表示があったことは認めるが、その効力が生じたとの主張は争う。
五 再抗弁
(
1 労働基準法一九条は、業務上の傷病に罹り療養のため休業する期間、すなわち、労働能力の回復するまでの一定期間は、解雇を絶対的に禁止し、労働者の保護を図っている。
2 原告は、昭和五一年八月四日以降「過労性頸肩腕障害・両手腱鞘炎」の業務上疾病のため休職していたところ、被告会社から本件解雇の意思表示を受けたものであって、本件解雇は明らかに労働基準法一九条に違反し、無効である。
3 原告の疾病が業務上の傷病であることは、次のことから明らかである。
(一) 原告の業務内容
(1) 原告は、被告会社に入社後三か月程は雑務を担当していたが、その後約二か月間講習を受け、昭和四七年三月からは「キャッシャー」としての業務を専任担当することとなった。
(2) 昭和四七年三月から同年一一月頃までの原告の業務内容は現金取引(領収書作成、伝票作成、帳簿記帳、伝票整理等)、旅客会計(航空券の管理・チェック、事務所売上・代理店売上のチェック、本社への報告書作成)、給与計算・支払業務、社会保険業務、雑務であった(この間、貝島経理部長が海外出張のため、給与関係、社会保険関係の仕事も原告が担当することとなった)。
被告会社は勤務時間が午前九時から午後六時までの週休二日制で、タイム・レコーダーがないため残業時間は個人で上司に報告するが、それでも昭和四七年四月、五月の原告の残業時間はそれぞれ四〇時間を超えている(このこと自体、労働基準法六一条に違反する)。
(3) 昭和四七年一二月から同四八年六月までの原告の業務は、前記貝島経理部長が帰国したため、給与関係、社会保険関係の業務は同人が担当することとなり、原告の業務からははずされた。
(4) 昭和四八年七月からの原告の業務は大別して、<1>現金取引に関する一切の業務、<2>銀行取引に関する一切の業務、<3>小口・大口現金および銀行残高管理、<4>大金庫・小金庫管理、<5>雑務、となった。その内容は以下のとおりである。
<1> 現金取引に関する一切の業務
(ア) 札勘定および領収書作成
顧客から入金があった場合、それが売掛金となっていれば被告会社にファイルしてある請求書のコピーの金額とその金員とを照合し、領収書(カーボン紙使用、三枚複写)をポールペンで作成する。被告会社の店頭での航空券の販売による入金の場合には、カウンター係の作成した売上報告書の金額とその金員とを照合し、売上報告書に原告が受取りの署名をする。
以上の業務は、入金が現金でなく、小切手でなされた場合も同様である。
(イ) 伝票作成
現金取引(入金・出金)のある毎に、伝票用紙(カーボン紙使用、二枚ないし五枚程度の複写)にタイプで作成する。小切手で受取った場合、特別の厚手の伝票用紙(カーボン紙使用、三枚複写)にタイプで作成する(この場合、伝票に領収書のコピーを添付する)。
(ウ) 帳簿記帳
(イ)により作成した伝票に経理部長と支社長の署名をもらい、現金出納帳(カーボン紙使用、二枚複写)に、支払先あるいは受取先の名前、内容金額を記入する。
(エ) 極東本部(香港)への書類送付
右現金出納帳は、毎週火曜日に「締め」を行う。すなわち帳簿上の残高と現金を照合のうえ、前記伝票類をまとめて、帳簿(二枚複写の一枚目)に添付する。この際、伝票の合計金額と帳簿上の各記載額をチェックし、それを計算機で表を作成する。この表と帳簿をホッチキスでとめ、伝票類とともに香港にある被告会社の極東本部に送付する。
(オ) 世界各地への伝票送付
伝票のうち、チューリッヒ本社、ジュネーヴ支店をはじめ世界各地にある支店に送付する必要のある伝票類は、毎週火曜日にまとめて送付する。
(カ) 伝票ファイル
伝票のうち、残った一枚をファイルして被告会社日本支社に保管する。
<2> 銀行取引に関する一切の業務
(ア) 領収書作成
顧客から被告会社の銀行口座に振込があり、顧客が要求した場合には、原告が現金による入金の場合と同様に領収書を作成する。
(イ) 伝票作成
顧客や代理店から被告会社の銀行口座に振込があり、銀行からその旨連絡があった場合、原告は直ちに入金伝票(カーボン使用、二枚ないし五枚の複写)を作成する。被告会社の銀行口座から払い戻し、振込依頼をする場合、現金取引の場合と同様に出金伝票を作成する。
(ウ) 総合・個別振込依頼書作成
一週間に一度か二度、平均一〇件ないし三〇件の出金伝票を作成した後、経理部長と支社長の署名をもらい、銀行に支払業務を依頼する銀行指定の振込用紙を作成する。
(エ) 小切手作成
現金取引以外の場合、取引先、支払期日毎に一枚の、あるいは数枚の小切手を作成する。
(オ) 帳簿記帳
現金出納帳の場合と同様に銀行出納帳を作成し、さらに毎週火曜日の「締め」を行う。
<3> 小口・大口現金および銀行残高管理
一週間締めのほか、月末は大阪、名古屋、福岡の各出納帳の計算と伝票の計算をチェックし、当月の日本支社全体の収支合計を調べる。そして一〇〇万円程度の金額だけを日本支社の当座預金口座に残し、他はチューリッヒにある本社に送金するための金額を算定する。
<4> 大金庫・小金庫管理
四階別室(電話交換器のある部屋)には大金庫があり、その中に小金庫が入っている。日常使用する現金は小金庫の中に入っており、勤務時間中、その小金庫は原告の机の中に保管する。大・小金庫の鍵は原告一人が保管し、スペアの鍵と金庫の番号を記した用紙は支社長が自宅に保管する。
<5> 雑務
書類のコピー、銀行通いから雑巾掛け、お茶くみなどの雑務も原告が担当していた。
(5) 以上が、原告の昭和四八年七月以降の主な業務内容であるが、要するに現金管理は給与関係と社会保険関係を除き一切が原告の担当とするところであった。そして、その業務も、例えば出金の作業は、請求書に添付されている明細書があるときは、それをとめてあるホッチキスの針をリムーバーで外してから作業に入るため、予想以上に指先に相当な負担が加わる。また、原告の事務机から複写機、大金庫などへの往復も日に何度かある。このように、原告の実際の業務は単に前記項目に掲げた業務内容のみではなく、それを行うための準備作業にもかなりの労力を要するのである。
(二) 原告の労働条件
(1) 被告会社は週休二日制(土・日が休日となる。)を採用しており、就業時間は午前九時ないし午後六時(休憩時間が正午ないし午後一時の一時間)の一週四五時間であったが、昭和四九年三月以後は二時間短縮され、一週四三時間となった(終業時刻は当初は午後五時三六分、その後、月曜日から木曜日までが午後五時三〇分、金曜日が午後六時となった。)。
(2) 原告が経理部へ配属された当時、経理部員は四名であり、昭和四七年一一月には一名減って三名となった。その後、昭和四七年六月頃から再び一名増員されて四名になっている。しかし、原告の業務内容は前記のとおりであり、部員の増減にはかかわりなく、キャッシャーとして常に一人で担当してきた。
(3) 原告の労働条件を要約すると左のとおりとなる。
(ア) 原告は一人でキャッシャーの業務を担当していた結果、現金・銀行関係を一人で引受けることになるため誤りは許されず、精神的負担が大きいのに加え、
(a) 休憩時間は正午から午後一時までの一時間となっているが、昼休みに顧客が来店したり、他の社員から現金の保管を頼まれたりして、一時間十分に休憩できない、
(b) 業務内容が多岐にわたるため、毎日が時間に追われ、同僚と私語をする余裕も雰囲気もなく、離席することさえ困難な状態であった。
(イ) 原告の業務量も一定しておらず、
(a) 毎週火曜日には現金出納帳、銀行出納帳の「締め」を行うため、関連業務が増える。
(b) 毎月一五日と末日は貨物運賃の支払期日であるため、銀行入金や小切手入金が多く、その業務が増える。
(c) 毎月一五日は社員の営業経費の支払日であるため、営業経費伝票記載の内容・金額をチェックし、その伝票にそれぞれの責任者の承認のための署名をもらい、その後その金額を用意し、支払う、という作業が加わる。
(d) 毎月末日は当月の各支店(名古屋・大阪・福岡)を含めた収支を計算・チェックし、日本支社全体の収支をまとめて本社への送金額を決定すると同時に、香港の極東本部に書類を送る作業が加わる。
(e) 三月、六月、九月、一二月の年四回の決算期の直前には、売掛金回収等さらに多くの整理の作業が加わる。
(f) 昭和四九年四月頃からは、運賃の一部を顧客に払い戻す(いわゆるキック・バック)作業が始まり、これには、通常の二ないし三倍の労力を要する。
(g) 時間外労働も多く、例えば昭和四八年一二月には五〇時間以上の残業がある。昭和四九年六月からは、「増員」を理由に残業が認められなくなったが、原告の業務内容は変更がなく、手当のない時間外労働(早出・残業)は依然として続いていた。
(ウ) 作業ペースも安定しておらず、時間におわれることが多い。例えば、
(a) 書類を香港にある被告会社の極東本部に送付する日は、書類を会社便の羽田空港出発時刻に間に合わせなければならないため、休憩時間もとれないほどになる。
(b) また、顧客が来店した場合も、長時間待たせるわけにはいかず、札勘定、領収書作成等を短時間でやらなければならない。
(c) 銀行関係の業務は午後三時までに行う必要があり、特に当日中の振込依頼は午前一一時までに行わなければならない。
(エ) 原告の使用していたタイプはスイス・ヘルメス社のものであるが、一〇年以上前の旧型機(手動式)であった。そのためキーが非常に重く、新型機に替えてほしいとの原告の度重なる要請で被告会社はようやく昭和五〇年一一月にオーバー・ホールだけはしたが、その後も変りがなかった。また、タイプに使用する伝票用紙は、一般のタイプ用紙より厚いものであった。さらに、タイプ用の照明はなく、タイプ置台も高さの調節はできず、原告がタイプを打つには不自然な高さであった。
(オ) 帳簿等を手書きする場合は、全てボールペンを使用していた。
(カ) 昭和五〇年一月の室内改造以降、夏は事務室内の冷房のため、冷風が天井より吹き降ろし、夏でも一日中セーターを着用するほど冷え、原告の身体にはこたえた。
(三) 原告の症状
(1) 原告は、昭和四八年一二月以降、タイプ作業が増え、全身疲労感が続き、タイプを打ち始めると右手前腕に痛み・脱力感を覚えるようになり、指(両手)にも痛みを感じるようになった。
(2) 昭和四九年になると、両手脱力感・痛み・肩こりを感じるようになり、以後それが続いた。
(3) 昭和五一年三月頃になると両手の痛み・肩こり・両前腕部のこり・全身疲労感が続き、以後悪化する一方であった。同年七月九日に、原告が札勘定をしていると左手母指に異常な痛みを感じ、その痛みが継続したため、左手母指は全く使えない状態になった。同月下旬になると両手(特に左右母指)の痛みが著しくなって、札勘定、タイプ、筆耕など原告の業務は全くできない状態となり、やむなく休職となったのである。
(四) 業務起因性
(1) 原告は、前記症状のため、昭和五一年八月四日以降休職して治療を受けているが、小豆沢病院において、原告の疾病は「過労性頸肩腕障害・両手腱鞘炎」と診断された。
(2) 原告の右疾病は、原告が入社以来従事してきた前記経理作業に起因するものである。なぜなら、前記のような業務内容・労働条件が原告に過大な精神的・肉体的負担をかけたことは疑いがない。また、原告の担当してきた英文タイプ・カーボン複写・札勘定等は「頸肩腕障害・腱鞘炎」の発症原因となる典型的な手指作業である。これらからすれば、原告の疾病は、原告の担当してきた業務に起因することは明らかである。
(3) 原告は、業務上の認定の範囲を厳格にし、限定する労働省の認定基準をもってしても業務上疾病と判断されているのである。疾病が業務に起因するか否かの判断基準としては、労働省労働基準局長の昭和五〇年二月五日付「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(乙第三〇号証)という通達(以下、単に「通達」という。)があり、原告はこの通達をクリアーしているのである。この通達は、「業務上の認定にあたっては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量から見て、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとしての納得しうるものであることが必要である」として、基準を種々挙げているが、それをそのまま機械的に適用するには様々な問題があり、批判も多い。
本来は総合的に判断されるべきものである。しかし、本件においては、原告は昭和五二年六月一〇日に中央労働基準監督署長に対し労働者災害補償保険法に基づく補償を求め、同監督署長は、昭和五三年四月一四日付で原告の疾病を、原告の被告会社での業務に起因するものとして、労働者災害補償保険法の療養補償・休業補償等の給付を決定している。すなわち、中央労働基準監督署長は、前記基準に従ってさえ原告の疾病を業務上と認定せざるをえなかったのであり、原告の疾病が被告会社の業務に起因することは疑いがない。
(4) 原告の主治医である芹沢憲一医師は、原告の疾病を被告会社における原告の業務に起因するものと診断し、それに沿って治療をして効果を挙げている。このことからも、原告の疾病が被告会社の業務に起因するものであることが具体的にも明らかである。
(解雇権の濫用)
1 本件解雇は、原告がその疾病が業務上のものであると確信し、中央労働基準監督署長に対し、労災保険給付の申請手続をした一八日後に突如行われたものであるが、その理由、手続は本件解雇通告書である甲第五号証の一、二のとおりであって、被告会社の就業規則一二条を理由とするものであった。しかし、同条は何んら解雇事由、手続を定めたものではなく、このことは原告が労災保険給付手続をとったことを被告会社が嫌悪した不当な解雇であることを示すものである。
2 被告会社が本件解雇の根拠・理由なりを明確にしたのは本訴提起後の昭和五四年五月三〇日付準備書面によってであり、被告会社「就業規則第四条第四項による」とし、解雇の理由についてはさらに遅く昭和五六年一〇月三〇日に至って、はじめて「客観的・社会通念上、雇用契約を継続し難い事由が存在する場合には解雇しうる」「原告は昭和五一年八月以降私傷病で欠勤し、……職場復帰(就労)不可能であったため、雇用継続不能と考え解雇した」と主張するに至ったものである。右に至るまでは、被告は前記甲第五号証の一、二のとおり、就業規則一二条の「業務によらない疾病に対する補償」期間満了後は、それだけで解雇できるものと誤信し、それのみを理由として本件解雇を行ったものである。
3 解雇は被告会社の自由にすべて委ねられているものではなく、労働基準法一九条等の法令による制約、手続上の制約、就業規則等による制約があるほか、解雇される労働者の生存権、労働権に基づきおのずから合理的な、正当な理由のある解雇でなければならないという制約を受けるものである。最高裁判所昭和五〇年四月二五日第二小法廷判決(民集二九・四・四五六)は、「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になると解するのが相当である」と明言しているところである。
4 以上のところから本件をみると、原告の疾病について、それが業務上のものであるか否かについて原告と被告会社の見解が対立し、原告がその判断を専門の行政機関である中央労働基準監督署長に仰いでいるという経過の中で、被告会社が解雇すべきか否かは社会通念上の常識に従って判断すれば、右行政機関の判断を待ってからなすべきことであった。ましてや、右行政機関からもそのような行政指導がなされていたのであるから、それに従うのが相当である。
5 さらに、本件解雇後一〇か月して前記行政機関が原告の疾病は業務に起因するものと正式に認定したのであるから、その判断を尊重し、被告会社としては本件解雇の意思表示を撤回すべきであった。現実に再三にわたり右行政機関等が被告会社に対し、本件解雇の意思表示を撤回するよう行政指導をしたのであるから、被告会社としては、社会常識上かかる場合その指導に従うべきであった。
しかるに、被告会社は、その就業規則一二条を独断で解釈し、本件解雇をしてこれを撤回しないもので、本件解雇には主観的にも客観的にも何んらの合理性もなく、その法律無視、行政指導無視のかたくなな態度は著しく社会通念、社会常識に反するものであって、解雇権の濫用であり無効である。
六 再抗弁に対する認否・反論
(
1の主張は争わない。
2のうち、原告が昭和五一年八月三日以降休職となっていることは認めるが、その余の事実は否認し、その主張は争う。
3(一) 原告の業務内容
(1)の事実は認める。
(2)のうち、原告が旅客会計、支払業務(現金支払は行っていた。)をも行っていたとの点は否認し、その余の事実は認める。
(3)の事実は認める。
(4)<1>(ア)の事実は認める。
同(イ)のうち、小切手で受取った場合、特別の厚手の伝票用紙にタイプで作成するとの点を否認し(伝票の厚さは殆んど変らない。)、その余の事実は認める。
(ウ)のうち、現金出納帳の複写は一枚であり、その余の事実は認める。
(エ)、(オ)、(カ)の各事実は認める。但し、極東本部へ送付する書類中の表は四段のみであり、右のいずれの作業も何ら手、腕、肩等に負担のかかるものではない。
(4)<2>(ア)の事実は認めるが、原告の作成する領収書は、月一ないし二件程度である。
(イ)の事実は認めるが、入金伝票は通常一枚複写である。
(ウ)の事実は認めるが、出金伝票は平均一〇件前後である。
(エ)、(オ)の各事実は認める。
(4)<3>のうち、チューリッヒの本社に送金する金額を算定するのが原告であるとの点を否認し、その余の事実は認める。
(4)<4>の事実は認めるが、その作業は手、腕、肩等に負担のかかるものではない。
(4)<5>のうち、
書類のコピーは各自のものを各自が行っている。
銀行通いは銀行へ預金、払出しに行くだけのもので、しかも銀行は一階にある。
雑巾掛けは夜間清掃会社が行っていて原告はしていない。
お茶くみは女性社員は各自のものを各自が行っており、男性社員は一階喫茶店からコーヒーを取り寄せていたが、原告が右喫茶店の者とトラブルを起し、以後原告がインスタントコーヒーを入れるので同喫茶店から取り寄せないでほしいと言われたため、原告の退職前約二年間は原告が自発的に行っていたものである。
(5)については、ホッチキスの針を除去するリムーバーは特に米国製のものを用いており、日本製のものより容易に除去しうる。このようなものまで業務として主張しなければならないのは、原告の業務がいかに少なかったかを物語る証左である。
(二) 原告の労働条件
(1)の当初の休日、就業時間は原告主張のとおりであるが、昭和四九年二月一八日以降は月曜日から木曜日までが午前九時から午後五時三〇分、金曜日が午前九時から午後六時までである。但し、一階カウンターは午前九時から午後五時三六分までである。
(2)のうち、原告が入社当時経理部員が四名だったのは一名が退職予定であり(そのため原告を採用した。)、原告への事務引継ぎが終了したので予定どおり退職したものであって、一名減となったものではない、その余の事実は認める。
(3)の(ア)(イ)(ウ)の各事実は否認する。
同(エ)のうち、タイプ機械がスイス・ヘルメス社の手動式のものであること、オーバーホールしたこと、タイプ用の照明がないことおよびタイプ置台が高さの調整ができないことは認めるが、その余の事実は否認する。
同(オ)の事実は認める。帳簿等を経理部員が手書きする場合、ボールペンを使用することは、どこの企業でも同様である。
同(カ)の事実は否認する。
(三) 原告の症状
(1)ないし(3)の事実はいずれも不知。しかし、原告からその主張のような訴えはなかった。かかる症状があれば、当然訴えがあった筈である。
(四) 業務起因性
(1)の事実は不知、(2)の事実は否認し、その主張は争う。
(3)のうち、原告主張の通達があることおよび原告が中央労働基準監督署長により原告の疾病がその業務に起因するとの認定を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(4)のうち、原告の疾病が業務に起因するとの点は否認し、その余の事実は不知。
4 原告の疾病が業務外の傷病であることは、次のことから明らかである。
(一) 原告の業務内容と業務量
(1) 原告は、昭和四六年九月被告会社の経理部に経理担当者として入社し、翌四七年三月香港において講習を受けた後、同年一一月までの間、現金、旅客(発売にかかる航空券の集計、払戻し、報告書の作成等)、給与、雑務(出勤簿管理)の業務を担当した。なお、仕事の分担表(甲第一八号証の一)には、原告が担当すべき旅客業務に<1>旅行代理店関係の報告書、<2>超過手荷物料金の集計、<3>航空券半券の集計、<4>統計関係(旅客数の集計)の各記載があるが、右のうち<1><2><4>は谷本経理部長が行っており、<3>は空港で行っていたため、原告は担当していなかった。原告は、キャッシャー業務を専門に行っていたというが右のとおり原告は旅客、雑務の業務も担当していて、キャッシャー業務はその一部にすぎない。
(2) 昭和四七年一一月、当時の経理部長であった貝島部長が帰国し、翌四八年一月からは、原告は現金、旅客の業務のみを担当した。しかも仕事分担表(甲第一八号証の二)に記載されている旅客業務のうち、旅行代理店関係の報告書は、原告の仕事が遅れていたため殆んどハウエター又は谷本経理部長が行っていた。
(3) 昭和四八年六月頃、谷本経理部長らは原告と原告の担当業務について話し合い、同年七月から原告の担当業務を現金、銀行・雑務に変更した。旅客業務を担当から除き、逆に銀行業務を入れたのは、現金業務と旅客業務が異質のものであること、前記のとおり原告の旅客の仕事は遅れがちであったため、旅行代理店関係の報告書などの旅客業務は谷本部長と星山が手分けして行うことにしたためである。なお、その銀行業務も被告会社の行う銀行業務のすべてではなく、原告が担当したのはそのうちの支払、受領、仕訳の三業務のみである。
(4) 原告の担当業務は、以後原告を解雇するまで変更がなかった。そこで、原告が担当した現金、銀行、雑務の各業務について検討する。
(ア)現金
現金業務の内容は、<1>現金出納(Cash Transactions)<2>小口現金(Petty Cash Book)、<3>預金(Deposit)<4>現金、小切手の領収書作成(Receipts)、<5>仕訳(Codification)<6>仮払金帳簿記入(Cash Advance Book)である。
<1>現金出納は、現金を受けとり、あるいは現金を支払う業務である。現金の入金や出金があれば現金を勘定し、入・出金伝票を作成のうえ現金出納帳に記載する。なお、場合によっては領収書を作成することがある。ところで、被告会社は航空会社であり、その売上は航空券の売上であるが、航空券は日本交通公社等の旅行代理店を通して売られるのが殆んどで、右旅行代理店で売られた売上金は、月二回旅行代理店から被告会社の富士銀行口座に振り込まれるため、現金出納業務を必要としない。その結果、現金の入金は被告会社の入居している日比谷パークビル一階の営業カウンターに旅行客が来て買う航空券の売上と被告会社名入の旅行鞄の売上程度である。他方、支払は、殆んど銀行振込みによって行われているため、現金で支払うものはわずかである。
その結果、入金・出金の件数は入・出金合わせて一日平均三ないし四件程度であり、したがって、現金出納帳への記載および入・出金伝票の作成件数も、これに対応して一日平均三ないし四件程度にすぎない。
また、現金の入金・出金を合わせて原告が取り扱っていた現金の額は、最高の取扱いをした昭和五〇年一〇月で入金・出金を合わせて一か月約一億円弱であるが、これとても一日に平均すれば五〇〇万円程度にすぎず、この程度の札勘定が特に手指の負担となる程の筋労作とも思えないばかりか、昭和五一年五月以降の日々の集計から明らかなとおり、平均すれば日々の現金の取扱い額は一〇〇万ないし二〇〇万円にも満たないのである。
なお、大口の出金は小金庫(手提金庫)から銀行への預金であり、小金庫に入れる際一〇〇万円単位でまとめて保管しておくので、預金の際改めて札勘定することはない。
<2>小口現金は、小額(一〇〇ないし二〇〇円以下)の現金の出金をいちいち現金出納帳に記載し、伝票を作成することは面倒なので、小口現金出納帳に記載しておき、小口現金出納帳は一枚複写になっているため、その一枚を取りはずし、伝票の中に綴じ込んで現金伝票の一部として使用している。したがって、小口現金の場合には、小口現金出納帳が現金伝票として使用されるので、小口現金出納帳とは別に伝票を作成することはない。小口現金が発生する場合は極めて少なく、昭和五一年四月以降を例にとっても、四月に一件、五月に三件、六月に二件、七月に四件発生しているだけであって、月に平均しても二・五件にすぎない。
<3>預金は、手元現金を入れておく手提金庫の中の現金がおよそ一〇〇万円を超えた場合には、それ以上の現金を手元におく必要もなく、また盗難等の危険があることから、同じパークビルの一階にある富士銀行に預金し、その旨現金出納帳に記載するだけであって、全く手指の筋労作に負担となるものではない。
<4>現金の領収書作成は被告会社が現金・小切手により支払を受けた場合に作成するが(被告会社が支払う場合には支払い先が領収書を作成するので、被告会社が作成する必要はない。)、航空券を売り上げた場合には、航空券が領収書となるので、通常はあらためて領収書を作成する必要はない。そのため領収書を作成するのは、特に顧客が領収書の発行を求めたような場合にすぎない。領収書の作成枚数は入金伝票の中に領収書添付(Rec-eipt Attached)と記載のあるものを集計してゆけば、自ら明らかになる。昭和五一年五月は五三枚、六月は九一枚、七月は一〇七枚であって、一日平均にすれば二ないし四枚程度にすぎず手指の筋労作に負担となる程のものではない。
<5>仕訳は入金や出金があった際、入金伝票、出金伝票の下欄に勘定科目に従った仕訳をするものであり、入・出金伝票の作成の時行うものであって、入・出金伝票作成業務の中に含まれている。入金・出金の件数が前記のとおり、入・出金合わせて一日平均三ないし四件であるから入出金伝票の作成、したがって仕訳伝票作成の件数も一日平均三ないし四件にすぎない。
<6>仮払金帳簿作成は、被告会社が仮払いを行った場合に、仮払金帳簿に記載するのであるが、仮払いは従業員の出張旅費のように、支払時に金額が確定しない場合に例外的に仮払いするもので、仮払金の発生件数は少なく、一日平均一件弱である。しかも仮払いの場合は仮払金帳簿に記載されるだけで、伝票も作成されない。したがって、これまた手指の負担になる程の筋労作ではない。
(イ)銀行
銀行業務の内容は<1>支払(Payment)、<2>小切手受領(Cheque Deposit)、<3>銀行元帳記入(Bank Book)である。
<1>支払は相手方の請求により、銀行を通して相手方銀行口座に振り込む業務である。この支払は毎週一回程度(但し飛行機の着陸料、駐機料、新聞代、家賃等は月一回)行う。この支払を行う場合には、請求書に基づいて伝票を作成し、銀行所定の振込用紙に振込先、振込金額を記入のうえ、被告会社の当座預金から支払うため小切手(一通)を作成して銀行に持参して振り込み、後記の銀行元帳に記入する。なお、支払(Payment)業務の中に、特に記載はないが、相手方から被告会社へ銀行振込(入金)があった場合の業務も含まれる。主要なものは旅行代理店による航空券の売上であるが、これは旅行代理店からいったん取りまとめ銀行である第一勧業銀行に振り込まれ、被告会社には第一勧業銀行から毎月二回、前記富士銀行口座に振り込まれる。その他パークビル一階営業カウンターで航空券を買った顧客が後に銀行振込みをする場合、航空貨物の運賃の支払を顧客が銀行振込みによって行う場合などに生ずる。この入金があった場合には、銀行からの連絡に基づいて伝票を作成し、銀行元帳に記入する。
<2>小切手受領は、顧客が支払のため小切手を持参した場合の業務であって、パークビル一階営業カウンターで航空券を買った顧客が小切手で支払う場合、貨物運賃を小切手で支払う場合などに生ずる。小切手を受領した場合は入金伝票を作成し、銀行元帳に記入し、小切手を銀行に持参して当座預金に入金する。
<3>銀行元帳記入は、前記のとおり銀行を通しての支払、入金があった場合、小切手を受領した場合に、銀行元帳に記入する業務であり、当然前記<1><2>の業務に含まれている。
ところで以上の銀行業務のうち手指を使用する業務は伝票の作成と銀行元帳への記入であるが、このうち銀行元帳への記入件数は支払日に当たる毎月七日、一四日、二一日、二八日頃こそ発生件数は一日平均約三〇件であるが、これとても特に負担となる程のものではなく、それ以外の日は零のこともあり、一か月を平均すれば、一日平均九件程度にすぎず、また貨物関係の支払は、毎月二回の支払で、多くても一回五件程度で、一か月を平均すれば一日平均一件にもならない。
次に銀行の入・出金伝票の作成件数は、前記銀行元帳への記入件数よりはるかに少なく、平均すれば一日四ないし五件程度である。これは、銀行元帳への記載は、谷本経理部長らが作成した伝票のうち、銀行元帳へ記入しなければならないものをも含めて記載するが、伝票の作成は、各自が行う業務について(原告の場合は、支払、入金、小切手受領)各自が作成するにすぎないからである(現金の出納業務の場合は、原告のみが行っているため、他の者が現金の入・出金伝票を作成するということはなく、伝票の作成件数と現金出納帳の記載件数は、ほぼ一致している)。ここで、原告が作成する伝票の枚数を一括すると、原告が作成する伝票は、前記の銀行入出金伝票、現金入出金伝票のほか、伝票を香港へ送付する際添付する伝票などがあるが、それを集計すれば乙第二号証のとおりであり、すべての伝票を合わせても一か月平均約一八〇枚、一日平均約九枚程度にすぎない。原告が作成した伝票の枚数が右の程度であることは、香港に送付する際、添付される前記伝票からも明らかである。すなわち、右伝票には、送付される伝票の番号が記載されているが、昭和五一年五月一一日送付の伝票には、現金伝票が一〇三八〇番から一〇四〇〇番まで二一枚、銀行伝票が一二六〇九番から一二六三四番まで二六枚、(尚Booking Vouch-ers―振替伝票―は、原告は作成しない)を送付した旨の記載があり、原告が一週間に作成した伝票は右の合計四七枚および乙第一号証の四の一の伝票一枚である。したがって一日に平均すれば九・六枚にすぎず、乙第二号証とも一致する。
(ウ)雑務
雑務の内容は<1>伝票・送付(Preparing Closure for HKG)<2>書類整理(Filing AVS)である。
<1>伝票送付は毎週一回(月末には大阪・名古屋・福岡支店の伝票も含む。)伝票を香港にあるスイス航空極東支社に送付する業務である。
<2>書類整理は、香港へ送付した後の日本支社控の伝票・領収書等を整理して保管しておく業務であって、手指の筋労作を要する業務ではない。
(5) 原告は前記各業務のほか、<1>スイスの被告会社本社への送金額の決定、<2>大金庫、小金庫の管理、<3>書棚、カウンターの清掃も原告の業務であり、それらの業務も原告の疾病の原因となった旨主張するので検討する。
<1>スイス航空本社への送金額の決定
スイス航空本社への送金は月一回行うが、送金額は、谷本部長が翌月支払分を考慮して決定するのであって、原告は谷本部長が送金額を決定する参考となる月末の現金、預金残高を現金出納帳、銀行元帳に基づいて報告するだけである。なお、本社への送金伝票の作成、日銀の許可等送金の実際業務は谷本部長が行う。
<2>大金庫・小金庫の管理
現金は小金庫(手提金庫)に入れられて大金庫に保管されており、原告は朝出勤すると、大金庫から小金庫を取り出して同人の机におき、現金の出納をし、退社時には大金庫に返納する。外出時間が長くなるときには、一定程度の現金を小金庫から仮払金として谷本部長に渡しておくので、外出に不便を来たすことはない。小金庫の管理とは右の程度のものであり、現金出納業務に含まれるものであって、特に「管理業務」として独立して観念する程のものではないし、身体に何ら負担となるものでもない。
大金庫の管理とは、大金庫の鍵を保管しているだけである。現金は小金庫の中に入れられており(その金額も一〇〇万円程度で、一〇〇万円を超える場合は銀行に預金する)、大金庫の中には証券類、鍵が保管されているにすぎない。したがって原告が朝小金庫を大金庫から取り出せば、その後大金庫を開閉する必要はなく、仮にその必要があったとしても鍵で大金庫を開けるだけのことである。大金庫の鍵を原告が保管していたのは、被告会社のシステムであるが、大金庫の鍵は原告のほかにも支社長が保管している。原告が欠勤するときは、原告又は支社長から鍵をもらっていた。原告は大金庫の鍵を保管していたので、なかなか休めなかったというが、鍵は原告のほか、支社長も保管していたのであるから、そのようなことはあり得ない。
<3>書棚・カウンターの清掃
経理部の書棚がほこりなどで汚れた際、ふくだけのことで、しかも毎日行うのではない。カウンターは現金の出納の窓口としての仕切をするために、原告の机の横に設けられたもので、幅五〇センチメートル、長さ一五〇センチメートルの小さなものである。その程度の物の清掃が身体の負担となるということはあり得ない。
(二) 原告の作業環境
(1) 原告が所属する被告会社の日本支社は、日比谷パークビル四階にあり、原告の就業していた部屋は、窓からの採光も十分なされていること、室温はビルのセントラルヒーティングによっており、適度に管理されていること、気積等も十分確保され、これまで労働基準監督署から是正勧告等がなされたことはなく、作業環境に特に問題となる点はない。
(2) 原告は、冷房の冷風が原告の右側身体に直接当たるので、夏でもシャツの上にセーターを身につけて就労したというが、労働基準監督署の調査したところによれば、風が直接当たるのは谷本部長席であり、原告の席にはほとんど当たらないこと、また、多くの女性がそうであるように、女性は夏は薄手のシャツ(ブラウス)しか着ないため、冷房場所に長くいる場合には身体の冷えを防ぐため、セーターを着用しあるいはカーディガンなどを羽織ることが多いが、原告も冷えを防止するため羽織ったにすぎないのであって、特に原告の身体に悪影響を及ぼしたとは思われない。
(3) 原告は、被告会社には休憩室、食事室もなく、原告らは機械室の後ろの狭い室で食事をしていたというが、被告会社にはパークビル一階に休憩室、食事室があるにもかかわらず、原告らはお湯を沸す時間がかかるからなどという理由で、被告会社が禁止している機械室の後ろで食事をしていたにすぎない。
(三) 原告の疾病と業務との因果関係
(1) いわゆる頸肩腕症候群とは、種々の機序により、後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手および指のいずれか、あるいは全体にわたり「こり」、「しびれ」、「いたみ」などの不快感をおぼえ、他覚的には当該部諸筋の病的な圧痛および緊張もしくは硬結を認め、時には神経、血管系を介しての頭部、頸部、背部、上肢における異常感、脱力、血行不全などの症状をも伴うことのある症状群に対して与えられた名称である(昭和五〇年二月五日労働省労働基準局長通達第五九号)。
(2) ところで頸肩腕症候群は、他覚的所見の把握が難しい疾病であり、診断の根拠となるレントゲン所見を得られることが少なく軟部組織(筋肉、腱、腱鞘等)の所見すなわち圧痛、硬結、知覚異常、運動機能障害等に頼らざるを得ない。
ところが、これらの所見には被検者の意識、意思によって左右される要素が残っており、かつ、その判定の基準にも未だ統一した見解がない。これらの理由から労働条件の詳細な調査を待たなければ手指作業による頸肩腕症候群と診断することは困難な場合が多い。すなわち、検査所見のみでは業務外の頸肩腕症候群と鑑別することはほとんど不可能である。ましてや原告のような全身症状を伴った頸肩腕症候群の場合には、労働条件の詳細な調査を経ても、業務と疾病との間の直接の結びつきを見出すことは難しい。多岐にわたる訴えにもかかわらず、他覚的所見、および訴えに作業負荷を反映する特異性が少なく、一般に神経症又は自律神経失調症等と診断されている非職業性疾病に酷似しており、その疾病像の明確化が極めて困難なものである。
これは手指作業者による障害というより、手指作業者にたまたま発生した健康障害であって、手指作業による要因はごく一部にすぎず、むしろ他の要因、すなわち社会的要因、精神的要因、日常生活条件、個人的要因等が主因となって発症するものと考えられる。この病像を呈する作業者は手指作業なしでも個人的、社会的要因下にあれば同様の健康障害を生ずる可能性を持つという意味でこれを手指作業による上肢疾患とするのには、そもそも問題の残る病像なのである。
(3) 以上のとおり、頸肩腕症候群が業務に起因して発症したものであるか否かの判断は、困難な場合が多いので、前記通達は業務上外の認定に当って次の基準を示している。すなわち
業務上の認定にあたっては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量からみて、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものが必要である。
(ア)作業態様
ここにいう上肢の動的筋労作とは、カードせん孔機、会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手指の繰返し作業をいう。
また、静的筋労作とは、ベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方挙上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈など一定の頭位保持を必要とするような作業をいい、手・指をくり返し使用しているか否かは問わない。
(イ)作業従事期間
発症までの作業従事期間は、その作業内容によって異なり、必ずしも一様ではないが、一週間とか一〇日間という短期間ではなく、一般的に六か月程度以上のものであること。
(ウ)業務量
同一企業の中における同性の労働者であって、作業態様、年令および熟練度が同程度のものもしくは他の企業の同種の労働者と比較しておおむね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前三か月程度にわたる場合には、業務量が過重であると判断するものとする。
(エ)療養と症状の消退
頸肩腕症候群の病訴の加工ないし固定の要因としては、筋緊張、精神的心理的緊張などの関与などが考えられるので、個々の症例に応じて適切な療養を行えば、おおむね三か月程度でその症状は消退するものと考えられる。したがって、三か月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病を疑う必要があるので、鑑別診断のための適切な措置をとらなければならない。
(4) この認定基準は、専門の医師らをもって構成される専門家会議の疫学的、臨床的、病理学的な、場合によっては外国の文献、資料なども取寄せて総合的な研究に基づいて決められているわけであり、しかもこの基準は可及的に広く労働者を救済しようとする行政目的のもとに定められたものである。これに対し司法の場合には、当事者の権利義務関係を確定するものであり、行政救済の場合のように広く労働者を救済しようという目的はないのであるから、因果関係の認定は、より以上に厳格になされる必要がある。
(5) ところで、原告の前記業務のうち伝票送付、書類整理、大金庫・小金庫の管理、書棚・カウンターの清掃はいずれも手指の繰返し作業ではなく上肢の動的筋労作、静的筋労作に当たらないこと明らかである。
次に、帳簿の記帳、領収書の作成、札勘定業務は、経理事務として行われる一般的な事務作業であるうえ、その間に書類整理、銀行へ赴き預金の預入れ、引出し、送金等の雑務が混入するのであって、その作業態様はカードせん孔機(キーパンチャー)や速記の業務のように手・指の繰返しを主とする動的筋労作作業に当たるかは極めて疑問であるばかりか、その点はさておいても、原告の帳簿の記帳、領収書の作成、札勘定の件数は前記のとおりであって、その業務量は極めて僅少である。
さらに伝票作成の際のタイプライターの打刻であるが、そもそも原告はいわゆるタイプライターとして常時タイプを打っているのではなく、筆耕により伝票を作成しているにすぎない。そもそも伝票作成は筆耕によるよりタイプによる方が手指にかかる負担は少いばかりか、その作業態様は、タイプを打つ間に、前記雑務が混入するのであって、主として手指を繰返し反覆使用する動的筋労作作業に当たるかは、これまた疑問であるばかりか、タイプの打数は乙第二七号証のとおりであり、英文の場合は平均して一単語が五文字から構成されていることから、乙第二七号証記載のタイプ打数を五で除せばタイプで打った語数が算出される。タイプのスピードは少い人で一分間二〇語を打つので、タイプを打った語数を二〇で除せば、タイプを打っている時間が算出される。乙第二八号証はタイプを打っていた時間算出をしたものであって、これによれば、昭和五一年六月の一日平均タイプ打時間は二四分、七月は一六分、平均しても二〇分である。原告によれば原告のタイプのスピードは一分間に三五語というのであるから、一日の平均タイプ打時間は一〇分程度である。業務量があまりに少なく、伝票一枚の平均字数は四二・六字であり、原告のタイプのスピードは一分間に三五字であるから、伝票一枚の作成時間は一分強であり、前記のとおり、伝票作成数は一日平均九枚程度であるから、結局一日のタイプ打時間はやはり一〇分程度となって、右の数字が正しいことが裏付けられる。タイプライターがやや重かったことを考慮しても、この程度の作業量が負担となることは考えられないのである。
労働省は昭和三八年二月八日に「キーパンチャーの健康管理について」という通達を出しているが(乙第三二号証)、それによれば、キーパンチャーを頸肩腕症候群から予防するため、一日の平均タッチ数を四〇、〇〇〇をこえないようにすることが望ましいとしている。ところで原告のタッチ数(タイプ打数)は、乙第二七号証のとおり一か月(一日ではない)平均四〇、〇〇〇であり、一日の平均タッチ数は二〇〇〇にすぎないのであって、原告の作業量がいかに少いかは、このことからも明らかである。
(6) 次に原告の療養と症状の消退経過であるが、そもそも原告が手指の痛みを訴えたのは、昭和五一年七月九日頃であり、谷本部長に対し親指(母指)を突指したので引張ってほしいというものであった。しかし、谷本部長は、突指をしたときの状況をみていなかったので医師の診断を受けることを勧め、原告も同月一七日横畠外科病院を訪れ、同月三一日まで左母指突指の診断のもとで治療していたのである。なお、原告の右突指は、東京銀行から貰った貯金箱を開けようとして負傷したものと思われる。原告は「昭和四八年一二月中旬以降右手下腕に痛みと脱力感を覚えるようになり、指にも痛みを感じるようになった」「昭和四九年頃には、両手脱力感、痛みが回復されない状態が続いた」「昭和五一年三月頃には肩こり、両脇(ママ)下腕がこり全身に疲労感を感じ翌日になっても疲労がとれない状態が続いた」というが、当時、原告からはそのような訴えは全くなかった。かえって乙第一三号証の特別検診成績表によれば、血圧と胃下垂には注意を要するものの、その他の所見には異常がなかったことが明らかである。
原告は昭和四九年以後の被告会社が実施する定期健康診断を受診せず、独自の健康診断を受診していたようであるが、その受診結果(診断書)を被告会社に提出していない。もし受診の結果異常があれば、被告会社に申告するはずであるが、そのような申告はなかった。なお原告は昭和五一年七月九日以降左手母指の痛みのため、札勘定も困難になったというが、これは前記左手母指の突指が原因と思われる。また、甲第二三号証(日本支社長の意見)には、「症状が進行しましたとき、私はくり返し専門家に診て貰う事と休みをとることをすすめましたが、彼女は正常に働けなくなる迄は働くことを固執致しました」との記載があるが、右意見書を作成したミューラー支社長および当時の総務部長は既にいないため、いかなる趣旨で記載したものか詳らかではないが、前記のとおり原告からは突指の訴え以外はなく、また昭和五一年七月九日以降は突指による痛みを訴えていたのであるから前記意見書はそのことに関する記載と思われる。
さらに、原告は前記のとおり昭和四八年一二月中旬以降手指の痛み、脱力感、全身の疲労感があったといいながら、昭和四九年六月にはスイスへ、同五〇年七月一七日にはハワイへ海外旅行をし、スイス旅行の際は、ほぼ半日にわたって、ドライブでスイスを縦断しているのである。原告は海外旅行をすればよくなると思ったというが、むしろ前記症状があるならば、静かに温泉療養などをして身体を休めるのが通常であって、重い荷物をもって海外旅行ができたことは、それらの症状がなかったことの証左である。なお、原告は前記旅行のほか、昭和四八年一二月一日から七日まで台湾、同月七日から一二日まで香港、同五一年一月二四日から同月三〇日までハワイへ海外旅行している。原告が初めて「右手下腕に痛みと脱力感を覚えるようになり、指にも痛みを感じるようになった」のは昭和四八年一二月上旬であり、その前二週間は前記のとおり台湾、香港に旅行しているのであって、業務の過労により右症状が発症したとは到底考えられないのである。
(7) ところで原告が本格的治療を始めたのは、昭和五一年九月二二日小豆沢病院に通院(昭和五一年一一月一八日から昭和五二年四月二〇日までは入院)してからである(なお病名も過労性頸肩腕障害が加っている)。そこで小豆沢病院における治療と症状の消退の経過について検討する。
(ア) 原告の初診時(九月二二日)の診断結果によれば、肩凝り、吐気があり、左手関節の屈伸、尺屈時に痛みがあり、屈伸・尺屈が十分できず、握力の測定が十分できないこと、しかし轢音、腫脹は認められないとのことである。この診断で注意すべきことは右手の症状については何ら記載がないこと、轢音、腫脹が認められないことである。右手が左手と同様の痛みがあれば、当然症状として記載されるのが当然である。同病院の芹沢医師はカルテには気になっているもののみを記載するというが、訴えがとるに足らない場合はさておき、そうでない場合には、患者の訴えを記載するのが通常であり(現に初診時には腱鞘炎、頸肩腕症候群と直接関連がないと思われる吐気まで記載されている。)ましてや甲第三五号証(労働法律旬報)に記載されているように(芹沢医師がとりあげている例は、本件事例であると思われる)「初診時に両側の拇指はほとんど動かない状態」であるなら、右手の症状に関し何らの記載がないのはいかにも不自然である(なお芹沢医師は右文献において「症状は、最初に右拇指の痛みから始まりました」としているが、原告が痛みを訴えたのは左手拇指である)。
次に、轢音、腫脹がいずれも認められないことは、腱鞘炎の病状がさほど悪化していないことである。腱鞘炎の病状が悪化すれば、屈伸、尺屈をするとき肥厚した腱鞘に腱がこすれて音が発生し、また茎状突起部分が腫脹するのであるが、それらは全く認められないのである。
それにもかかわらず、握力測定が全くできないということは、客観的病態と本人の訴える症状とが一致しないのである。以下にも事例を示して摘示するが、本件で特色なのは診断の結果によって得られる客観的病態と本人の訴える症状、本人の行為とが一致しないこと、さらに各々の疾病は定型性をもち、規則性をもつのであるが、本件にはそれが見当らないことである。腱鞘炎、頸肩腕症候群は轢音、腫脹などがあれば格別そうでなければ、他覚的所見の把握が難しい疾病であり、いきおい患者の訴える症状に頼らざるを得ない。その患者の訴える症状が客観的病態と一致せず腱鞘炎、頸肩腕症候群の疾病の規則性をもたないことは本件疾病を疑う重大な事実である。なお、本件については唯一の他覚的所見(握力の測定ができないということは、他覚的所見とはなりえない。なぜなら握力の測定は被検者の意識、意思によって左右されるものであるからである。)である肩凝りがあるからといって、それが直ちに頸肩腕症候群に結びつくものではないことはいうまでもないことである。肩凝りは我々が日常経験するところであり、筋肉の疲労によって容易に生ずるものであるからである。
(イ) 原告は昭和五一年一一月一八日から小豆沢病院に入院したが、一一月一八日の診断名は両上肢痛とあり、初診時の左手痛と異っている。一一月二五日の診断によれば両上肢痛のうち、右上肢(前腕)痛があるものの、左上肢痛はほぼ消失している。ところが一二月二八日になると両側手関節の伸屈制限が発症し、昭和五二年一月五日のカルテには「左手関節尺屈にて疼痛」、一月二五日のカルテには「左手関節掌背屈十分でない」、一月二九日のカルテには「左手関節背屈できない」旨の記載があり、原告は関節の痛みを訴えている。関節の痛みはリューマチから発症するのが通常であって(高令の場合には骨関節炎によっても生ずる。)、腱鞘炎、頸肩腕症候群とは関連のない疾病である。腱鞘炎は腱鞘に炎症が生じて発症するので腱鞘の存在する部位=原告の場合には茎状突起=に生ずるが、関節に生ずることはなく、また頸肩腕症候群の場合にも骨である関節にまで影響することはあり得ない。芹沢医師は左手関節掌背屈ができないことは、頸肩腕症候群ではないが腱鞘炎の場合には非常に多いというが、関節の痛みが腱鞘炎から生ずるなどということは医学常識では考えられず、また原告の腱鞘炎は左手母指であって、そのために左手掌を背屈できないということもあり得ない。そのため二月一日のカルテでは診断した医師は慢性関節リウマチを疑っており、正に正鵠を射たものであるが、原告の疾病を腱鞘炎、頸肩腕症候群と決めつけている芹沢医師はリウマチの血液検査も行っていない。
(ウ) 昭和五二年五月一〇日になると項部、肩の痛みも訴えはじめ、同年一〇月二七日には特に右肩背部の痛みを訴え、同年一一月一〇日には左第一指、中手骨附近が特に痛く、その他左肩部の痛み、頭痛を訴え、同年一二月一日には左手をポケットに入れるとひどく痛い旨訴え、昭和五三年一月一二日には特に左手小指に少しぶつけても手首までひびく旨訴えている。
小指の痛みはこの時期になって初めて訴えはじめたのであって、それまでのカルテには全く記載がない。明らかに原告の主訴は変ってきているのである。この点芹沢医師は「要するに手が動かない状態になっておりまして、そういう状態の中で、たとえばドアのノブが回らないとか、水道の栓がひねれないとか、ところがなんとなくふいにやってしまって途中で痛めるということはありうると思う」という。しかし、治療の途中、他の原因によって負傷したものであれば、治療中の疾病とは異るのであれば治療の方法も異なり当然その原因を記載するのであるが、その旨の記載もなく、芹沢医師のいうような外的原因による負傷のための治療措置はとられておらず、従前の治療方法を継続している。しかも昭和五三年一月一九日のカルテにも第五指(小指)の痛みが特に強い旨の記載がある。ドアのノブ、水道の栓で同じ個所を二度にわたって負傷するとは考えられないのである。
(エ) 原告の病状は、昭和五三年一月当時着替えするときに両腕が痛く、また前記のとおり左手小指に少しぶっつけても手首までひびく程であり、さらに握力検査は昭和五二年七月二八日(このときも第一回の握力検査で右母指が痛み二回しか検査していない。)以降、原告が痛がるため実施できない状況であった(二月九日の握力検査も痛がるためか、一回しか実施していない。)。
ところが原告は昭和五三年二月二日スキー旅行に行っているのである。スキーは当然のことながらストックを握り滑降する。少しぶつけても手首までひびくほどの痛みがあり、痛みで握力検査もできない者が、果してスキー旅行ができるのであろうか。芹沢医師はスキー旅行に行ったが、スキーはしなかったかのごとくいうが、スキーをしていなければ、わざわざスキー旅行と記載する必要はないし、そもそも旅行をするなら身体に悪影響を与える寒い雪国に行くこと自体が不自然である(現に原告は夏の冷房さえ身体に悪影響を与えたといっている。)。さらに、カルテによれば、「スキー旅行後肩部痛、四~五中手骨背部の Smelling、スポーツに関し手首にとくに負担のかかるようなことはやめたほうがいい」との記載がある。これは明らかにスキー旅行に行きスキーをし手首に負担がかかったため痛みが再発したことの証左であり、原告は現にスキーを行っているのである。このように、客観的病態と本人の訴える症状が一致しないのである。
(オ) 昭和五三年二月二九日のカルテには「昨日左手が痛くて動かせなかった。火曜日は卓球のしすぎであるとのこと。今日はかなりよくなった。卓球はしていて楽しい」とある。この当時原告は着替えをするにも両腕が痛くてつらく、左手小指は少しぶつけても手首までひびく程いたかったのである。しかも原告の腱鞘炎はドヴケルバン腱鞘炎というものであり、母指を屈曲すれば最も痛みが激しいのである。成程原告は食事する時スプーンは持てたかもしれない。しかし卓球の場合はスプーンと比較したら比べものにならない程重いラケットをもち、しかもそれを激しく動かすのである。ラケットの持ち方がペンホルダーであろうとシェイクハンドであろうと、母指を屈曲して握ることには変りはない。腱鞘炎は指を使い過ぎ、腱が腱鞘をこすりすぎたために発症するのであるから、何よりも安静にし、腱と腱鞘の接触を防止すること、すなわち手指を使わないことが治療の根幹である。それにもかかわらず、少しぶつけても手首までひびく程痛い原告が、卓球のしすぎである程卓球をし、しかも卓球はしていて楽しい(痛いのではない)のであり、安静を勧告すべき医師が卓球を勧めているのである。客観的病態と本人の訴え(加えて医師の指示=治療)がどうしても一致しないのである。
(カ) 昭和五三年二月九日のカルテには肩背痛のほか新たに腰痛が加わり、五月一一日のカルテには驚くべきことに右足第一指痛が、七月六日のカルテには耳なりが、一二月二一日のカルテには右足の痛みが、昭和五四年三月二四日のカルテには眼痛が、同年五月一二日のカルテには足の痛みが、昭和五五年四月一二日には足先の痛みが記載されている。頸肩腕症候群とは、その発症原因は種々の機序により発症するため、明確ではないが、症状は「後頭部、頸部、肩甲帯、上腕、前腕、手及び指のいずれかあるいは全体にわたり」「こり」「しびれ」「いたみ」などが発症するのであって、腰痛、足の第一指痛、眼痛などは生じないのである。芹沢医師は過労性頸肩腕症候群の場合には、首、肩、腕に限局されたものでなくこれらの症状も発症するとするが、頸肩腕症候群は上肢の動的筋労作又は上肢の静的筋労作によって生ずるのであるから、腰部、足部、眼部に症状が発症することはあり得ないのである。それでも過労性頸肩腕症候群の場合には生ずるとするなら、最早芹沢医師の観念する頸肩腕症候群は、本件で問題となっている頸肩腕症候群とは別の疾病である。右のとおり原告の疾病には頸肩腕症候群の定型性、規則性がないのである。昭和五四年五月一二日のカルテには原告が足が腫れて痛む旨訴えるのであるが、他覚的所見では腫脹は認められず、診察した医師自身「特に異常な所見はないのだが」と、原告の不可思議な自覚症状にとまどっているのである。
(キ) 握力検査は一度の検査に三回行う。女性でも握力は最低二〇はある。ところで原告の場合、芹沢医師によれば痛みが激しく、昭和五三年二月九日頃までは行えず、その後も昭和五四年八月二五日頃までの間は二回程検査したのみで、それも痛みがあったため二回しか行っていないとのことで、昭和五四年八月二五日から正式な握力検査を行っているが、その検査結果によれば、昭和五四年一〇月六日には最高右、左とも一〇まで回復したものが、同年一二月二二日にはまた右零、左二・五まで落ち、その後昭和五五年九月二八日まで検査できず、九月二八日の検査も二回しか実施できなかった。同年一〇月六日に突然最高左右とも七まで回復すると、同年一一月以降悪化し、同年一二月二二日にはほとんど零となってしまう。その後も回復するかと思うと昭和五六年九月七日にはまた零にもどり、同年九月二二日に診察した医師は握力(GK)が異常だ(?)と疑問をもっているのである。ここにもまた規則性がないのである。
(ク) 原告は昭和五一年八月以降業務を離れて治療に専念し、その間同年一一月一八日から翌五二年四月二〇日までは入院をもしているのである。それにもかかわらず原告の症状は消退しないばかりか、カルテの記載をみても前記のところ以外にも「今週月曜日より特に右肩背部が痛い」(昭和五二年一〇月二七日)、「左手が痛い」(同年一二月一五日)、「左手がひどく痛い」(同年一二月二二日)、「昨日左手が痛くて動かせなかった」(昭和五三年二月二八日)、「全身がだるい」(同年三月九日)、「非常に具合悪い」(同年五月一一日)、目まい、耳なり(同年七月六日)、吐気・嘔吐(昭和五四年一月一一日)、「具合よくない」(同年七月二八日)、「調子よくない」(昭和五五年一二月一八日)、「全身の痛みつよい」(昭和五六年三月一八日)、「湯沸器のスイッチもひねれない」(同年六月一七日)等とほとんど軽快のあとも窺えないのである。芹沢医師は、原告の場合は早期に治療しなかったため難治性のものになっているというが、そもそも早期に治療しなければ難治性のものになるというものではないばかりか、原告の場合痛みを訴えはじめたのは(それも突指ではあるが)昭和五一年七月九日であり、同年八月からは業務を離れ治療を開始しているのである。さらに小豆沢病院における昭和五一年九月二二日初診時の診断では左腕に疼痛はあるものの、腫脹、轢音はないのであって、原告の疾病が難治性になる程悪化していなかったことは明らかである。
(ケ) 被告会社は外国会社であり、殆んどの業務がタイプを使用するが、他の従業員に原告と同様の疾病が発症したものはいない。
(8) 以上のとおり、原告の疾病の発症と療養の経過を辿ってみても、原告の疾病の症状は、業務を全く離れ、治療を行なっても一向に改善することもなく、昭和五二年以降は業務と直接関係のない足痛、母趾痛、腰痛、眼痛の症状が現われ業務との相関がみられず、また、被告会社の他の従業員に同様の疾病は発症していない。業務と疾病との間に相当因果関係があるといえるためには、業務が疾病のほとんど唯一の原因であることを要するものではないが、他に競合する原因があってもその業務が相対的に有力な原因であれば足りるが、業務がその疾病の単なる条件、すなわち引金になったにすぎない場合には、両者の間の因果関係を否定すべきものである。これを本件についてみるに、原告の疾病は、経理事務に従事中発症したものではあるが、そこでの原告の作業量は過重なものではないうえ、業務を離れ、治療に専念してからも容易に症状が軽快しないのであるから、少くとも業務が有力な原因とは認めることができず、業務と原告の疾病との間には相当因果関係は認められない。
(9) かえって、江良医師の診察によれば、原告の疾病は腱鞘炎、頸肩腕症候群ではなく、神経系統の疾患ではないかと思われるのである。すなわち江良医師は原告が小豆沢病院に通院中の昭和五一年一〇月頃原告を診察しているが、その診察によれば左上肢の腱反射にホフマン・トレムナー反射がみられ、病的反射は陽性であった。ホフマン・トレムナー反射が陽性の場合には、運動の神経系統の疾患、特に錐体路の系統の疾患を疑う必要がある。ところがホフマン・トレムナー反射は、腱鞘炎、頸肩腕症候群の場合には出ない。そこで江良医師は原告を診察した際、両上肢の疼痛、左母指の屈曲障害を認め、かつ原告が中野病院等において腱鞘炎、頸肩腕症候群の診断がなされていることを知ってはいたがなお神経系統の疾患を疑い、神経内科の診察を勧めたのである。江良医師は内科の医師であるが、医師というものは内科であるから、内科の立場から診察するのではなく、問診、検査等を行い、他科における診察治療を必要と認めれば、専門医を紹介するなど適宜の措置をとるのである。江良医師は同医師が勤務していた三田国際クリニックが被告会社の産業医であることも知らず、原告についても何ら予備知識も持たないまま診察したのであって、その診察は極めて公正なものである。
原告の疾病を頭から腱鞘炎、頸肩腕症候群と極めつけ、他の疾病(関節リウマチ)も疑がわれるのに、その検査も行わない芹沢医師の診断にこそ多大の疑問が存在するのである。
(解雇権の濫用について)
原告の主張のうち、原告の疾病が業務に起因するとの中央労働基準監督署長の認定のあったことは認めるが、その余の事実および主張は争う。
被告の就業規則四条四項は解雇予告手続を定めるだけで、解雇事由を限定(自己限定)していないので、およそ客観的・社会通念上、雇用契約を継続し難い事由が存在する場合には解雇しうるものである。
ところで、原告は、昭和五一年八月以降私傷病で欠勤し、被告会社の就業規則一二条所定の「業務によらない疾病に対する補償」期間一年経過後も治癒せず、職場復帰(就労)不可能であった。そこで、被告会社は、右により原告との間の雇用契約は継続し難いものと判断し、前記のとおり解雇の意思表示をなしたものである。
したがって、本件解雇は、解雇手続に違背するものではなく、また解雇権の濫用にも当たらないこと明らかである。
七 被告の主張に対する原告の認否
原告の疾病が業務外のものであるとの被告の主張4の事実のうち、原告の疾病が業務に起因するものであるとの原告の主張3に反する部分は否認する。
第三証拠関係
記録中の書証目録、証人等目録各記載のとおりである。
理由
第一 地位確認請求について
一 請求の原因1および2の事実は当事者間に争いがない。
二 被告会社が原告に対し、昭和五二年六月二八日付書留郵便により、同年七月三一日をもって原告を解雇する旨の意思表示をなしたことは当事者間に争いがなく、被告会社の就業規則四条四項には解雇予告期間が二か月と定められていることは被告の自認するところである。
三 原告の疾病の存否およびその業務起因性の有無
1 次の事実は当事者間に争いがない。
(一) 原告は、昭和五一年八月三日あるいは四日以降被告会社を休職している。
(二) 原告の被告会社における業務内容は、次のとおりである。
(1) 原告は、昭和四六年九月二七日被告会社に入社後三か月程は雑務を担当していたが、その後約二か月間講習を受け、昭和四七年三月からは「キャッシャー」としての業務を専任担当することとなった。
(2) 昭和四七年三月から同年一一月頃までの原告の業務内容は、現金取引(領収書作成、伝票作成、帳簿記帳、伝票整理等)、給与計算、社会保険業務、雑務であった(この間、貝島経理部長が海外出張のため、給与関係、社会保険関係の仕事も原告が担当することとなった。)。
被告会社における勤務時間は午前九時から午後六時までの週休二日制で、タイム・レコーダーがないため、残業時間は個人で上司に報告するが、それでも昭和四七年四月、五月の原告の残業時間はそれぞれ四〇時間を超えている。
(3) 昭和四七年一二月から同四八年六月までの原告の業務は、前記貝島経理部長が帰国したため、給与関係、社会保険関係の業務は同部長が担当することとなり、原告の業務からはずされた。
(4) 昭和四八年七月からの原告の業務は、次のとおりであった。
<1> 現金取引に関する業務
(ア) 札勘定および領収書作成
顧客から入金のあった場合、それが売掛金となっていれば被告会社にファイルしてある請求書のコピーの金額とその入金額とを照合し、領収書(カーボン紙使用、三枚複写)をボールペンで作成する。被告会社の店頭での航空券の販売による入金の場合には、カウンター係の作成した売上報告書の金額とその入金額とを照合し、売上報告書に原告が受取りの署名をする。
以上の業務は、入金が現金でなく、小切手でなされた場合も同様である。
(イ) 伝票作成
現金取引(入金・出金)のある毎に、伝票用紙(カーボン紙使用、二枚ないし五枚程度の複写)にタイプで作成する。
(ウ) 帳簿記帳
(イ)により作成した伝票に経理部長と支社長の署名をもらい、現金出納帳に、支払先あるいは受取先の名前、内容金額を記帳する。
(エ) 極東本部(香港)への書類送付
右現金出納帳は、毎週火曜日に「締め」を行う。すなわち、帳簿上の残高と現金とを照合のうえ、前記伝票類をまとめて、帳簿(二枚複写の一枚目)に添付する。この際、伝票の合計金額と帳簿上の各記載額をチェックしたうえ、計算機を用いて表を作成する。この表と帳簿をホッチキスでとめ、伝票類とともに香港にある被告会社の極東本部へ送付する。
(オ) 世界各地への伝票送付
伝票のうち、チューリッヒ本社、ジュネーヴ支店をはじめ世界各地にある支店に送付する必要のある伝票類は、毎週火曜日にまとめて送付する。
(カ) 伝票ファイル
伝票のうち、残った一枚をファイルして被告会社日本支社に保管する。
<2> 銀行取引に関する業務
(ア) 領収書作成
顧客から被告会社の銀行口座に振込があり、顧客が要求した場合には、原告が現金による入金の場合と同様に領収書を作成する。
(イ) 伝票作成
顧客や代理店から被告会社の銀行口座に振込があり、銀行からその旨連絡があった場合、原告は直ちに入金伝票(カーボン使用、複写)を作成する。被告会社の銀行口座から払い戻し、振込依頼をする場合、現金取引の場合と同様に出金伝票を作成する。
(ウ) 総合・個別振込依頼書作成
一週間に一度か二度、出金伝票を作成した後、経理部長と支社長の署名をもらい、銀行に支払業務を依頼する銀行指定の振込用紙を作成する。
(エ) 小切手作成
現金取引以外の場合、取引先、支払期日毎に一枚の、あるいは数枚の小切手を作成する。
(オ) 帳簿記帳
現金出納帳の場合と同様に銀行出納帳を作成し、さらに毎週火曜日の「締め」を行う。
<3> 小口・大口現金および銀行残高管理
一週間締めのほかに、月末は大阪、名古屋、福岡の各出納帳の計算と伝票の計算をチェックし、当月の日本支社全体の収支合計を調べる。
<4> 大金庫・小金庫管理
四階別室(電話交換機のある部屋)には大金庫があり、その中に小金庫が入ってる。日常使用する現金は小金庫の中に入っており、勤務時間中その小金庫は原告の机の中に保管する。大・小金庫の鍵は原告一人が保管し、スペアの鍵と金庫の番号を記した用紙は支社長が自宅に保管する。
<5> 雑務
銀行通いおよび男子社員へのお茶くみ(原告の退社前二年間)を原告が担当していた。
(三) 原告の被告会社における就労中の労働条件等は、次のとおりである。
(1) 原告が被告会社に入社した当初は、前記のとおり被告会社は週休二日制(土・日が休日となる。)を採用しており、就業時間は午前九時から午後六時(休憩時間が正午ないし午後一時の一時間)の一週四五時間であった。その後終業時刻が変更され、月曜日から木曜日までが午後五時三〇分、金曜日が午後六時となった。
(2) 原告が経理部へ配属された当時、同部員は四名であったが、うち一名が昭和四七年一一月に退職し、その後同部員は三名となった。その後、昭和四九年六月頃から一名増員となり四名となっている。しかし、原告の業務内容は同部員の増減にかかわりなく、「キャッシャー」として常に一人でこれを担当していた。
(3) 原告が使用していたタイプ機械がスイス・ヘルメス社の手動式のものであり、被告がこれのオーバーホールをした。また、タイプ用の照明がなく、タイプ置台の高さの調整ができなかった。
原告が帳簿等を手書きする場合は、全てボールペンを使用していた。
(四) 労働省労働基準局長の昭和五〇年二月五日付「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」という通達があり、同通達は「業務上の認定にあっては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量から見て、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものであることが必要である。」として種々の基準を挙げている。
そして、中央労働基準監督署長が、昭和五三年四月一四日付で、原告の疾病が原告の被告会社における業務に起因するものであるとして、労働者災害補償保険法上の療養補償・休業補償等の給付決定をしている。
2 (証拠略)を併せて検討すると、次のような事実を認めることができる。
(現金取引関係)
(一) 被告会社は航空会社であり、その売上は航空券の売上であるが、航空券は日本交通公社等の旅行代理店を通して売られるのが殆んどで、その売上金は月二回旅行代理店から被告会社の富士銀行口座に振り込まれるため、その現金出納業務を必要としない。その結果、現金の入金は被告会社の入居している日比谷パークビル一階の営業カウンターに旅行客が来て買う航空券の売上と被告会社名入の旅行鞄の売上程度である。他方、支払も殆んど銀行振込みによって行われているため、現金で支払うものは僅かである。その結果、入金、出金の件数は入・出金合わせて一日平均三ないし四件程度であり、したがって、現金出納帳への記載および入・出金伝票の作成件数も、これに対応して一日平均三ないし四件程度にすぎない。ちなみに、昭和五〇年一月から昭和五一年七月までの現金取引に関する原告の伝票取扱量は別紙(二)(略)記載のとおりである。
また、現金の入金・出金を合わせて原告が取り扱っていた現金額は、昭和五〇年一月から同五一年七月までの間は別紙(三)(略)のとおりであり、最高の取扱いをした昭和五〇年一〇月で入金・出金を合わせて一か月約一億円弱であるが、これとても一日に平均すれば五〇〇万円程度にすぎず、昭和五一年五月以降の日々の集計から明らかなとおり、平均すれば日々の現金の取扱い額は一〇〇万円ないし二〇〇万円にも満たない。
なお、大口の出金は小金庫(手提金庫)から銀行への預金であり、小金庫に入れる際一〇〇万円単位でまとめて保管しておくので、預金の際改めて札勘定することのないものである。
(二) 被告会社では、小口現金は、小額(一〇〇ないし二〇〇円以下)の現金をいちいち現金出納帳に記載し、伝票を作成することは面倒なため、小口現金出納帳に記載しておき、小口現金出納帳は一枚複写になっているため、その一枚を取りはずし、伝票の中に綴じ込んで現金伝票の一部として使用している。したがって、小口現金の場合には、小口現金出納帳が現金伝票として使用されるので、小口現金出納帳とは別に伝票を作成することはない。小口現金が発生する場合は極めて少なく、昭和五一年四月以降をみても、四月に一件、五月に三件、六月に二件、七月に四件発生しているだけであって、月に平均しても二・五件にすぎない。
(三) 被告会社では、預金は、手元現金を入れておく手提金庫の中の現金がおよそ一〇〇万円を超えた場合には、それ以上の現金を手元におく必要もなく、また盗難等の危険があることから、同じ日比谷パークビル一階にある富士銀行に預金し、その旨現金出納帳に記載するだけである。
(四) 現金の領収書作成は被告会社が現金・小切手により支払を受けた場合に限り作成するが、航空券を売り上げた場合には、航空券が領収書となるので、通常はあらためて領収書を作成する必要はない。そのため領収書を作成するのは、特に顧客が領収書の発行を求めてくるような場合に限られている。この領収書の作成枚数は入金伝票の中に領収書添付(Receipt Attached)と記載のあるものを集計することにより明らかとなり、昭和五一年五月は五三枚、六月は九一枚、七月は一〇七枚であって、一日平均にすると二ないし四枚程度にすぎない。
(五) 仕訳は入金や出金があった際は、入金伝票、出金伝票の下欄に勘定科目に従った仕訳をするものであり、入・出金伝票作成時に行うものであって、入・出金伝票作成業務の中に含まれている。入金・出金の件数が前記のとおりであって、入・出金合わせて一日平均三ないし四件であるから、入・出金伝票の作成、したがって仕訳伝票作成の件数も一日平均三ないし四件にすぎない。
(六) 仮払金帳簿作成は、被告会社が仮払いを行った場合に、仮払金帳簿に記載するものであるが、仮払いは社員の出張旅費のように、支払時に金額が確定しない場合に例外的に仮払いするもので、仮払金の発生件数は少なく、一日平均一件弱であり、しかも、仮払いの場合は仮払金帳簿に記載するだけで伝票も作成しない。
(銀行取引関係)
(一) 被告会社では、銀行取引における支払は、相手方の請求により、銀行を通して相手方銀行口座に振り込む業務である。この支払は、毎週一回程度(但し、飛行機の着陸料、駐機料、新聞代、家賃等は月一回)行うもので、請求書に基づいて伝票を作成し、銀行所定の振込用紙に振込先、振込金額を記入のうえ、被告会社の当座預金から支払うため小切手(一通)を作成し、これを銀行に持参して振り込み、これを銀行元帳に記入する。なお、支払業務の中に、相手方から被告会社へ銀行振込(入金)があった場合の業務も原告の行う銀行取引業務である。その主要なものは、旅行代理店による航空券の売上であるが、これは旅行代理店からいったん取りまとめ銀行である第一勧業銀行に振り込まれ、被告会社には同銀行から毎月二回、富士銀行の被告会社の口座に振り込まれる。その他、日比谷パークビル一階営業カウンターで航空券を買った顧客が後に銀行振込みをする場合、航空貨物の運賃の支払を顧客が銀行振込みによって行う場合等である。この入金があった場合には、銀行からの連絡に基づいて伝票を作成し、銀行元帳に記入する。
(二) 被告会社における小切手受領は、顧客が支払のため小切手を持参した場合の業務であって、日比谷パークビル一階営業カウンターで航空券を買った顧客が小切手で支払う場合、貨物運賃を小切手で支払う場合などに生ずるもので、小切手を受領した場合は、入金伝票を作成し、銀行元帳に記入し、小切手を銀行に持参して当座預金口座に入金する。
(三) 被告会社における銀行元帳記入は、銀行を通しての支払、入金があった場合、小切手を受領した場合に、銀行元帳に記入する業務であり、当然前記(一)および(二)の業務に含まれるものである。右の銀行元帳への記入件数は、支払日に当たる毎月七日、一四日、二一日、二八日頃には発生件数が一日平均約三〇件であるが、それ以外の日は零のこともあり、一か月を平均すれば、一日九件程度であり、また貨物関係の支払は、毎月二回の支払で、多くても一回五件程度で、一か月を平均すると、一日一件にもならない。
次に銀行の入・出金伝票の作成件数は、前記銀行元帳への記入件数よりはるかに少なく、別紙(二)記載のとおりであって、平均すると一日四ないし五件程度である。
(雑務)
(一) 伝票送付は、毎週一回(月末には大阪・名古屋・福岡の各支店の伝票も含む。)伝票を香港にある被告会社極東支社に送付する業務である。
(二) 書類整理は、香港へ送付した残りの日本支社控の伝票・領収書等を整理して保管する業務である。
(伝票作成関係)
(一) 原告が作成する伝票は、銀行入出金伝票、現金入出金伝票のほか、伝票を香港へ送付する際添付する伝票などがあるが、それを集計すると別紙(二)記載のとおりであり、すべての伝票を合わせても一か月平均約一八〇枚、一日平均約九枚程度である。
(二) 右の伝票は通常タイプによって作成されるものであるが、原告の昭和五一年五月三一日から同年七月三一日までの右のためのタイプの打数およびその語数は別紙(四)(略)記載のとおりであり、また原告の場合の同年六、七月における伝票一枚の平均字数、一日の平均伝票作成枚数、一日の平均タイプ字数、一日の平均タイプ時間、一か月の平均タイプ時間は別紙(五)(略)記載のとおりである。
(三) 労働省は、昭和三九年九月一五日の中央労働基準審議会の労働大臣あての答申に基づいて、同月二二日に「キーパンチャーの作業管理について」(基発一一〇六号)の通達を出して広く行政指導を行っているが(右通達の施行とともに、昭和三八年二月八日「キーパンチャーの健康管理について」(基発一一二号)の通達は廃止された。)、右答申された報告書によると、キーパンチャーの健康管理のため、一日の平均タッチ数を「四〇、〇〇〇をこえないように作業を調整することが望ましい」としている。
(その他)
(一) 被告会社本社への送金は月一回行うが、その送金額は谷本経理部長が翌月支払分を考慮して決定し、原告は右決定の参考となる月末の現金、預金残高を現金出納帳、銀行元帳に基づいて報告するだけであり、また被告会社本社への送金伝票の作成、日銀の許可等送金の実際業務も谷本経理部長が行っていた。
(二) 現金は小金庫(手提金庫)に入れられて大金庫に保管されていて、原告は朝出勤すると、大金庫から小金庫を取り出して同人の机において現金の出納をしたうえで、退社時には再び大金庫に返納する。外出時間が長くなるときには、ある程度の現金を小金庫から仮払金として谷本経理部長に渡しておくので、外出に特に不便はなかった。
大金庫の管理は、大金庫の鍵を保管して、これを開閉することであり、その中には、小金庫、証券類、鍵が保管されていた。なお、大金庫の鍵は原告のほか支社長が保管していた。
(三) 経理部の書棚がほこりなどで汚れた際これをふき取る清掃は原告が行っていたが、これは毎日のことではなく、また、カウンターは現金の出納の窓口としての仕切りをするために、原告の机の横に設けられたもので、幅五〇センチメートル、長さ一五〇センチメートルの小さなもので、これが清掃も原告が行っていた。
以上の事実を認めることができ、この認定に反する趣旨の甲第一、二号証の記載部分および原告本人の供述部分は前顕各証拠と対比するとたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
3 (人証略)によれば、次のような事実を認めることができる。
(一) 原告が勤務していた被告会社の日本支社は日比谷パークビル四階にあり、原告の就業していた部屋は同ビルのセントラルヒーティングによって室温の調整がなされているなど、特に労働基準監督署から是正勧告を受けたようなことはなかった。
(二) 原告は、夏でも室内でセーター等を着用していたが、原告の就業場所が特に冷房によって冷えるというものではなく、他の女子社員も同様にセーター等を着用していた。
(三) 被告会社には、日比谷パークビル一階に休憩室、食事室があり、被告会社はこれを利用し、他の場所を食事等に利用しないよう指示していたが、原告らはお湯を沸す時間がかかるなどの理由で、同ビル四階にある機械室の後ろで食事をしていた。
以上の事実を認めることができ、この認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は前顕各証拠と対比するとたやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
4 また、(証拠略)によれば、次のような事実を認めることができる。
(一) 原告は、被告会社に入社するに際し、被告会社の指定医であった日比谷国際クリニック堀内医師の診断を受けているが、耳、喉、手、足、心臓、ヘルニア、脳神経等に異状はなく、既往症もないとのことであった。また、原告は、被告会社に入社後の昭和四八年一二月二〇日実施された特別検診においても、血圧の再検査と胃下垂の食餌療法が指摘されただけで、他に異常はないとの診断であった。
(二) 原告は、昭和五一年七月九日に至って上司である谷本経理部長に左手母指の痛みを訴えるまでは、原告の本件疾病を窺わせるような訴えを右谷本をはじめ同僚その他に対しても全くしていなかった。
(三) 原告は、昭和五一年七月九日頃、左手母指に痛みを覚え、これが突指によるものであると認識して、上司であった谷本経理部長に相談のうえ、同月一七日横畠外科医院を訪れ、その旨訴えて診断、治療を求めたところ、左母指突指との診断を受け、これに従った治療を受け、その後、同月二一日、二三日、二四日、二六日、三一日と同病院へ通院して治療を受けた。
その後、原告は、同年八月二日、中野総合病院において、鈴木幹雄医師により両ドヴケルバン腱鞘炎で一週間の安静加療を要するとの診断を受け、次いで同月一九日同病院において、池澤康郎医師により右と同一病名でさらに一か月間の安静加療を要するとの診断を受け、さらに翌九月二五日、同病院において、同医師により両手腱鞘炎で同月一九日から一か月間の安静加療を要するとの診断を受け、それぞれその診断に従った治療を受けた。
さらに、原告は、同年九月二二日、左腕の痛みを訴えてはじめて小豆沢病院を訪れて治療を受け、その後引続いて通院していたが、同年一〇月二一日、同病院において、田中信陽医師により過労性頸肩腕障害、両手腱鞘炎で同月二〇日から一か月間の安静加療を要するとの診断を受け、同年一一月一八日から翌五二年四月二〇日までの間同病院に入院して治療を受けているが、その間の昭和五一年一二月四日、同病院の芹沢憲一医師により、原告の疾病は過労性頸肩腕障害、両前腕狭窄性腱鞘炎で業務に関係あるものと考えられ、少なくともさらに六か月間は職場復帰ができないとの診断を受けていて、右退院後現在に至るまで同病院へ通院し治療を受けてはいるが、原告の疾病は長期にわたって治癒しないばかりでなく、快方にも容易に向わず、最近に至ってようやく快方に向っている程度である。
以上の事実を認めることができ、右の認定に反する趣旨の原告本人の供述部分は前顕各証拠と対比するとたやすく信用できず、他に右の認定を左右するに足りる証拠はない。
5 なお、(証拠略)によれば、原告は右4のほか、被告会社の指示によって、昭和五一年一〇月二二日頃、被告会社の産業医であった三田国際ビルクリニックにおいて、江良晉医師(内科医)の診断を受けた結果、病名は「左手掌廃用性筋萎縮」とされたが、別途原告には心身症等も考えられるので、神経内科医の診断を受ける必要があるとのことであったことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
6 (原告の疾病の存否)
原告の疾病である腱鞘炎についてもいえることであるが、とりわけその頸肩腕障害は明確な他覚的所見に乏しく、多分に本人の主訴によって診断されるものであることに加えて、前記の被告会社における原告の業務内容、その量が必ずしも過重なものとは認められないこと、江良医師の指摘する原告については、さらに神経内科医の診断を必とする要原告の傾向、原告の日常の行動、すなわち、(証拠略)によって認められるように、原告はその疾病が発生して後数回にわたって海外旅行に出ていること、(人証略)によって認められるように、原告はその疾病治療中で未だ快方に向っていない時期にスキー旅行に出たり、病院内において卓球を相当熱心にしたりしていること、(証拠略)によれば、被告が再抗弁に対する認否、反論の3(三)(7)(ア)ないし(ケ)で指摘するような小豆沢病院における治療経過中の疑問が存し、これにつき同病院の医師も必ずしも疑問を持っていなかったものではない(<証拠略>の昭和五六年一〇月二七日欄)ことが認められ、さらに前記のように江良医師も原告の疾病に対し疑問を持っていること等々からみると、原告の疾病については全く疑問がないということはできない。
しかしながら、専門家である医師が、それも一病院、一人の医師ではなく、いくつかの病院、何人かの医師が原告の疾病として腱鞘炎、頸肩腕障害の存在を診断し、さらに中央労働基準監督署長もその疾病の存在を前提として労働者災害補償保険の支給決定をしている以上、右の疑問だけで、他に右の診断、決定が明らかに誤りであるとする資料のない限り、原告の疾病の存在を否定し去ることはできず、右江良医師は内科医であることと、右小豆沢病院の医師の疑問もあくまでも疑問であって基本的には原告の疾病を肯定してその治療を行っていることからみるとこれも右の結論を左右するに足りないものというべきである。そして、本件全証拠を検討しても、右にいう資料があるものとする証拠はないので、原告の疾病は存在するものと認めるを相当とする。
7 (原告の疾病の業務起因性の有無)
(一) 一般に疾病が業務に起因するというがためには、業務と疾病との間に相当因果関係が存しなければならず、その相当因果関係があるというためには、業務が疾病の殆んど唯一の原因であることを要するものではなく、他に競合する原因があっても業務が相対的に有力な原因であれば足りるが、業務がその疾病の単なる条件、すなわちその引金になったにすぎないような場合には、その間に相当因果関係はなく、したがって疾病に業務起因性はないものというべきである。
(二) 右のことは、被災労働者がその疾病の素因を本来的に有している場合にもいえるところであり、業務がその素因を誘発あるいは増悪させて疾病を発生させるについて唯一の原因であることを要するものではなく、他の原因と競合する場合であっても、業務が疾病発生につき相対的に有力な原因となり、素因と共働して疾病を発生させたものと認められる場合は、疾病は業務に起因するものと解するを相当とする。
(三) 前認定のとおり、原告は、被告会社に入社するに際して被告会社の指定医の診断を受けているが、その際には異常はなく、また、入社後の昭和四八年一二月二〇日の特別検診においても血圧の再検査と胃下垂の食餌療法のほか異常がなかったものである。そうだとすると、原告のその前後、特にその後における全生活の中において原告の疾病の原因となりうる可能性のあるものを抽出し、その中で相対的に可能性の高いものが業務であったか否かを検討しなければならないものというべきである。
そこで、右の原告の全生活の中で、原告の疾病の原因となるように考えられるものは、原告の被告会社における業務のほかは、原告本人尋問の結果によって認められる原告が好んで行っていたボーリングだけであって、本件全証拠を検討しても他にこれを見出すことができない。
(四) 原告の被告会社における業務内容、その量、その他の労働条件等は前記のとおりであり、前認定の昭和三九年九月二二日付「キーパンチャーの作業管理について」(基発一一〇六号)労働省労働基準局長通達からみても、その業務等は他と比較して決して過重なものといえないことは前説示のとおりである。そして、本件全証拠を検討しても被告会社の従業員から原告と同じ疾病が発生したと認めるに足りる証拠がないばかりでなく、(人証略)によれば、原告の後任として原告と同一業務に就いている同証人としてはその業務が過重なものとは感じていないことが認められる(もっとも、同人が男性であって、原告よりも年令的に若いことを考慮しなければならない。)。
(五) 以上によれば、原告の疾病については、もともとその素因を原告が有していたものと推認するほかなく、前記労働省労働基準局長の昭和五四年二月五日付「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)通達によれば、これを主として原告の被告会社における業務やボーリングが誘発もしくは増悪させて疾病を発生させたものと認めるを相当とする。
そうだとすると、その業務等がそれ自体としてはその内容、量等において過重ではなく、原告以外の者(素因を有しない)であれば発症しないものであっても、原告に関する限り、他にその原因が存しない以上はその業務が原因であるといわざるを得ないものというべきである。
そこで、右業務とボーリングとを対比してみると、原告の疾病がその利腕に限らず両腕に及んでいること、ボーリングは業務と違って原告が興味を持って好んでリクリエーションとして行っていたものであることおよび原告の疾病が一般に心因性を有すること(<証拠略>)等からみると、むしろ業務がボーリングに比し相対的に有力な原因となっているものと認めるを相当とする。
(六) 以上のところに、前記のとおり中央労働基準監督署長も原告の疾病が被告会社における業務に起因しているものと認めて労働者災害補償保険の支給決定をしていることを併せ考ると、原告の疾病は、他にその有力な原因となるものが存しない限り被告会社における業務に起因しているものというべきである。
(七) 一般に特定の原因によって悪結果が生じている場合、その原因を除去することにより、生じている悪結果は消退の方向に向うものというべきところ、(証拠略)によれば、昭和五〇年二月五日付労働省労働基準局長通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(基発第五九号)の解説によると、いわゆる「頸肩腕症候群」が業務に起因している場合、業務から離脱して適切な治療を行うことにより症状が消退し、快方に向い、これが悪化することはあり得ないものとされており、このことは証人芹沢憲一の証言によれば、原告の主治医である同証人も肯定しているものであることが認められるが、原告の場合は、前記のとおり被告が再抗弁に対する認否、反論の3(三)(7)(ア)ないし(ケ)で指摘するように、業務を離れて疾病の治療に専念して後も相当長期にわたってその症状が消退して快方に向わないばかりか、却って悪化する等右の医学常識に反するかのような点も存しないわけではないが、(証拠略)によれば、医学界において原告のような疾病は極めて個人差があって一律に断定できるものではないとされていることが認められ、また、証人芹沢憲一の証言によれば、原告も最近に至って徐々にではあるがその症状が消退し、快方に向っており、原告のように長期にわたる患者も少なくないことが認められるところからすると、原告の疾病の回復が遅れていることの一事をもって直ちにその業務起因性を否定することはできないものというべきである。
そして、他に原告の疾病の業務起因性を否定するに足りる証拠はない。
8 以上説示のとおり、原告には腱鞘炎、頸肩腕障害の疾病が存し、これが被告会社の業務に起因しているものというべきである。
四 労働基準法一九条は、労働者が業務上の負傷又は疾病による療養のため休業する期間およびその後の三〇日間の解雇を、いかなる解雇事由があるとしても禁止しているところ、被告会社の原告に対する本件解雇は、仮に被告主張の解雇事由があるとしても、右法条に違反するものであることは前説示のところから明らかであるので、本件解雇はその効力を生ずるに由なく、無効であるというべきである。したがって、原告は、現在に至るまで被告会社との間において雇用契約関係にあるものというべきであるから、原告の本訴地位確認請求は、爾余の点について判断を進めるまでもなく、理由があるものというべきである。
第二 金員請求について
一 次の事実は当事者間に争いがない。
1 被告会社の就業規則一二条三項によれば、従業員の業務上疾病による休職の場合、被告会社は、休職後一年間は賃金の一〇〇パーセントを従業員に支払うことになっている。
2 被告会社は、原告に対し、原告の疾病は私傷病であるとして、就業規則一二条三項を適用して、昭和五一年八月から同五二年一月までは賃金の一〇〇パーセント(基本給の一〇〇パーセントに交通費金一万二〇〇〇円を加算)を支払ったが、同年二月から同年四月までは賃金の七五パーセント(基本給の七五パーセントに交通費金一万二〇〇〇円を加算)、同年五月から同年七月までは賃金の六〇パーセント(基本給の六〇パーセントに交通費金一万二〇〇〇円を加算)を支払ったにすぎない。
なお、被告会社における賃金の支払は、毎月一日から末日までの賃金を同月二五日に支払うこととなっている。
二 原告の疾病が業務上疾病であることは前記第一において認定のとおりであるから、被告会社としては前記一1において示した就業規則一二条三項により、原告に対し休職後一年間は賃金の一〇〇パーセントを支払うべき義務があるものであるから、別紙(一)記載のとおり、なお合計金六四万三二〇〇円の支払義務があるものというべきところ、うち金三三万六〇〇〇円についてはこれの支払を受けたことを原告において自認しているので、残金三〇万七二〇〇円とこれに対する履行期後の昭和五二年七月二六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務があるものというべきである。
三 以上のとおりで、原告の本訴金員請求は理由があるものというべきである。
第三 以上説示のとおり、原告の本訴請求はいずれも理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡邊昭)
別紙(一)
<省略>